「日本国民に告ぐ あなたは自分や親兄弟友達の命を助けようとは思いませんか 助けたければこのビラをよく読んでください 数日のうちに裏面の都市の内四つか五つの都市にある軍事施設を米空軍は爆撃します この都市には軍事施設や軍需品を製造する工場があります 軍部がこの勝目のない戦争を長引かせる為に使う兵器を米空軍は全部破壊します けれども爆弾には眼がありませんからどこに落ちるか分かりません ご承知のように人道主義のアメリカは罪のない人達を傷つけたくはありません ですから裏にかいてある都市から避難してください アメリカの敵はあなた方ではありません あなた方を戦争に引っ張り込んでいる軍部こそ敵です アメリカの考えている平和というのはただ軍部の圧迫からあなた方を解放することです そうすればもっとよい新日本が出来上がるんです 戦争を止めるような新指導者を樹てて平和を恢復したらどうですか この裏に書いてある都市でなくても爆撃されるかも知れませんが 少なくともこの裏に書いてある都市のうち必ず四つは爆撃します 予め注意しておきますから 裏にかいてある都市から避難してください」 以上が全文です。
空襲を予告するビラがまかれるようになったのは、1945年5月からであった。空襲から一般市民をまもるというのが大義名分であったが、じっさいは、市民の混乱をねらうこと、無差別爆撃を正当化することにあった。ビラは、ハワイにある捕虜収容所にいた日本人捕虜によっ
てつくられ、サイパン島で印刷されている。青森へのビラは予告された11都市 (宇治山田、津、郡山、函館、長岡、宇和島、久留米、一の宮、大垣、西宮、青森)とともに7月27日、B29により6万枚まかれた。2機のB29が、27日22時51分と翌27日0時4分に照明弾とともに投下している。市民の動揺をおそれた当局は、憲兵、警察、警防団を総動員して、ビラの回収をおこなった。空郷督排狭合出欄ビラが大量にまかれた相馬町の海岸一帯では、20mごとに警察や、警防団が配置され、徹底した回収をしたという。さらに警防団は「敵のデマだから」とメガホンでさけび、ひろった人はとどけるようよびかけた。こうした敵方のビラは、ひろうことも、よむことも禁止されていた。もしかくしもっているものがいたら、3ヶ月以下の懲役、3000円以下の罰金にされることになっていた。このため、避難予告は市民につたわらず、被害をおおきくした。