1941年(昭和16年) 国民学校令によって、それまでの尋常小学校を国民学校とあらため初等科六年、高等科二年制となった。初等科は義務教育、高等科は中学校にゆけない人が試験をうけてはいった。このころから、それまでにもまして、国家主義的な色彩のつよい教育方針がとりいれられた。敗戦後の1947年(昭和22年)、今の六・三制度がしかれて、初等科は小学校に、高等科は中学校となった。
奉安殿は、政府からあたえられた天皇、皇后の写真(敬って御真影とよんだ) と、教育勅語 (明治天皇の名前で1890年(明治33年)にだされた教育の根本方針をしめしたもの)をしっかりと保管しておく建物である。はじめは校舎の中にある奉安所におかれていたが、しだいに厳重な保管がもとめられ、特別に奉安殿がつくられるようになった。1935年(昭和10年)以降は全国の学校で奉安殿がつくられるようになった。
火災などで御真影がうしなわれたら校長らがその責任をとらされた。生徒たちは、登校、下校のとき、かならずそのまえで最敬礼をさせられた。青森空襲のとき、先生たちはまっさきに御真影と教育勅語をはこびだしている。