戦時中の服装は、国民がつねに着るものとして1940年にきめられた「大日本帝国国民服令」により、軍服ににているカーキ色に統一された。男性は、少国民といわれた小学生をふくめてカーキ色の国民服とゲートル、国民帽。女性は厚生省できめた標準服があったが、モンペを着用する人がおおかった。
モンペは東北での農村の仕事着であったが、やがて全国の女性の普段着となった。はじめは防空演習のときに着てでる服で、着物のうえに着ていたが、やがて肌着のうえにじかに着るようになって、そのころからスタイルも工夫され、スマートになっていった。
生地は木綿が中心であったが、よそ着にまでつかわれるようになると、銘仙などのモンペもでてきた。ないが戦時中の統制されたなかで、せめてもの女性のおしゃれであった。防空頭巾はむかしの火事装束にヒントをえている。これも、防空演習のときの女性の服装であったが、いつのまにか、男性や子供のものになっていった。
それというのも、防空頭巾は空襲での火の粉や、爆弾の爆風や、破片などをふせぐもので、鉄カブトのような役目をしていたからである。冬は防寒帽としても役にたった。いずれにせよ、戦時中は服装までも統制されていた。